東京新聞 2023 年 12 月 14 日「福帰行」での虚偽報道について
アウシュヴィッツ平和博物館への質問状
アウシュヴィッツ平和博物館理事会御中
アウシュヴィッツ平和博物館理事各位
2024 年3月1日
NPO法人原発災害情報センター理事会
回答期限: 冒頭、本質問状に対する回答を、2024 年3月20日までにNPO法人原発災害情報センター理事会宛発行される様請求します。貴法人が理事会を経てから回答を発する場合にあっても、2024 年3月31日までの回答を要求します。
以下、理由と質問事項:
2023 年 12 月 14 日発行の東京新聞は、元福島支局長坂本充孝氏執筆の「福帰行」を掲載しました。
その内容は虚偽に満ちており、私たち原発災害情報センター(以下、「センター」と記す)にとって重大な権利侵害、人権侵害を含んでいます。既にセンターは、東京新聞『福帰行』担当部署と執筆者坂本氏に対して、誤報訂正依頼の文書を 2024 年1月5日に発しました。
ところで、アウシュヴィッツ平和博物館(以下、ア博)は 1 月 27 日に「創立 20 周年記念誌」を発行し、その 49 ページに、この記事を転載しています。従ってこの記事は、単に貴法人小渕理事長(以下、小渕理事長)が言う「記者が勝手に書いたもの」ではなく、ア博も、この記事内容に責任を持っていると解されます。
依って、以下の質問について回答を求めます。
なお、2021 年5月 13 日ア博への質問状を出していますが、いまだ回答を頂いてません。小渕理事長は・・・「回答文書は書かない」というのが回答だ・・・と、同年9月 16 日に言い放ち、またある理事は「理事間の意見が纏まらず、質問状への回答文が書けない。返答をしていない。出来ない。」と話してます。今回も同様なことが起こりかねません。
事柄は、ア博にとってもセンターにとっても、NPO法人としての信用に関わる重大なことです。ア博理事会の見解を求めますが、それと同時にア博理事会でまとまらなくても、ア博理事各位の見解表明をも求めます。各理事が責任を持って意見表明する。それが、会員や協力者に対する責任というものですから。
では質問に入ります。
なお、同記事で「板書」と表記されている「原発さえなければと書かれた壁」について、これまで「壁」と呼ぶことが普通でしたので、この質問状でも「壁」と表記します。
◆以下、第1部と第2部に分けて質問します。
第1部は記事の内容について、第2部では 20 周年記念誌を「センターとア博の友好関係」の視点で取り上げます。
第1部A.見出し「アウシュヴィッツ平和博物館に残る板書」の真偽について、
質問1:「壁」が本当にア博に残っているのかどうか?事実を答えて下さい。
「壁」は 2015 年度末にセンターが保管を受け入れたものです。その経緯は当時の運営委員会議事録(三木平子氏作成)にも記録されてます。また、2016 年3月発行のセンターNEWS8 号 12 ページに、この壁をセンターが預かり保管することに向けて尽力された「原発さえなければ裁判を支援する会」代表の高木章次さんが、2016 年 1 月に書いた文章を寄稿してます。その中で「このたび、原発災害情報センターで保管場所を提供して頂けることになり」と記してます。「情報館で」でも、ア博でもありません。このニュースは塚田氏にも配布されており、この記事に写真と名を載せている小渕、塚田、三木の3氏は「センターが保管したこと」を十分ご存知のはずです。理事長・小渕氏の認識を明らかにして下さい。
因みにですが、壁の遺族代理人保田行雄弁護士は、「壁を保存するにあたり2度白河を訪問した。小渕真理氏からは『ア博には保管余地がないので、原発災害情報センターを紹介する』との仲介があり、原発災害情報センター(及び建物群の1室)に契約書を交わして保管と管理を委託したのである。」とそして、「塚田一敏氏との面識はない(一度も会ったことがない)」と、明言されています。
質問2:「壁」がア博にあると主張されるならば、センター保管以後、いつかの時点で移動したと考えざるを得ません。この移動(ア博にとっては「壁」の受入れ)について、貴理事会または総会などでどのような審議がされたのか?お答え下さい。
重要な物件受入れなので記録がないとは考えられません。
B.「原発災害情報館」なるものについて
1.東京新聞の記事本文冒頭で、坂本充孝記者が「板書に遭遇した」のは「原発災害情報館で」と書いています。これはセンター建物群のことと思われますが、
質問3:ア博(理事会及び理事各位)の見解としても、そのように「情報館で」なのですか?
質問4:また、もしそうだとするならば、ア博はいつどこでその見解を確定したのですか?
2.東京新聞記事・最下段中頃に「福島第1原発の事故後は、原発災害情報館を開設し」とあります。
この文の「開設し」の主語は7行前の「平和博物館は」と読み取れます。あるいは「開設し」の3行前の「03 年に設立」と併置されていると考えて主語は「塚田さんら」とも読み取れるので、両方について述べます。
2-1「平和博物館は情報館を開設し」と読む場合。ア博が開設したと言って良いのはセンターです。2012 年総会で建設を決め、レターニュース imagine でも大きく取り上げてました。センター開設の音頭を取り、ア博の姉妹館として位置づけたことは大きく評価されることです。
質問5:ア博による歴史的意義ある行為を消してしまうとはどういうことなのでしょうか?
質問6:「平和博物館は情報館を開設し」と読むならば、ア博はいつどこで、この「開設」を決定し、いつオープンしたのですか?
質問7:同館開設について、ア博としてどのような広報がされていますか?
2-2「塚田さんらは情報館を開設し」と読む場合。「塚田さんが情報館を開設した」ということだけならば、法人を設立したのは事実でしょう。
質問8:でも、建物である同館の開設はいつですか?
「情報館」の社団法人登記は 2021 年と聞いてます。しかし、「壁」保管開始(2015 年)の時期からはずっと後ですね。「壁」保管の時は任意団体としても存在していませんでした。
質問9:「塚田さんらは情報館を開設し」との記述は、「壁」保管をしたのはセンターだという事実を覆い隠すための文章ですか?
第2部 異様な「アウシュヴィッツ平和博物館 20 周年記念誌 49 ページ」について
・・・ア博とセンターの歴史を改竄し、原発災害情報センターを抹殺しようとするもの・・・
ここでの論議の重点は新聞記事が正しいかどうかということより、ア博が記事を記念誌に載せようとしたことの意味を問います。
ア博は 2012 年総会で「センター設立」を決議し、2014 年3月2日に開催した臨時総会では「姉妹館」と規定しています。ア博はセンターにとって、「生みの親」でもあり、「姉」でもあります。このことと、今回の東京新聞記事との整合性の問題です。
質問は文章の最後部分に書くので、先ずは読み進んで下さい。ア博が原発事故問題に取り組んだことを、20 周年誌などに記録を残すこと自体は悪くないことです。しかしこの場合、ア博のこの 20 年を振り返り見て、ア博の原発問題活動で重要な事を書くべきでしょう。何を書くべきかについて各人意見が分かれるかも知れません。ある人は「総会や臨時総会まで開いて決めたセンター建設だろう」と言うかも知れません。また、「ア博にとって原発問題は主な課題ではないから、取り上げる必要はない」との意見もあるでしょう。様々あって良いことと思います。
質問 10:しかし、「ア博が情報館を設立し、その情報館がア博で「壁」を保存している」ということを挙げるのは、ア博として共通理解となっているのでしょうか?
質問 11:小渕・塚田両氏だけの妄想でしかないと思いますが、どうでしょうか?
第1部B.で取り上げたように事実かどうかについてさえ疑わしいことを、センター建設以上に意義あることと言えるはずがないからです。にもかかわらず、記念誌に載りました。読んだア博会員・協力者は頭が混乱するでしょう。
「20 年誌」編集者の狙いはここです。記念誌に新聞記事掲載することが、どんな審議経過を経て決まったのか、当方には分かりませんが、意図は推測できます。読者の頭を混乱させることです。きわめて「普通の人」ならば、ア博が呼びかけてセンター設立となったことは知ってます。しかし時間も経って、記憶も次第に曖昧になってきます。センターが「壁」を保管しているのを知っている人
は、それ程多くないでしょう。そこへこの記事を流し込めば、原発事故後ア博が「情報館」を作って「壁」を保存したのだな、と意識誘導できます。この「記憶の上書き」をすることで、“センターが存在したこと、行った仕事”を忘れさせることが可能になります。
結論的に言えば、ア博による「センター殺し・妹殺し」です。
2014 年臨時総会で「姉妹・友好」関係と規定したのを壊します。こんなことをア博会員は本当に望んでいるのでしょうか?ア博自身にとっても歴史改竄です。
即ち、総会で決めたセンター設立には触れず、機関にも諮ってない「情報館設立」を紙面に載せることで、会員・協力者の意識に擦り込むことになってます。そこで質問です。
質問 12:なぜ、この東京新聞記事を「ア博 20 周年記念誌」に転載したのか、その理由を答えて下さい。
質問 13:記念誌からこの東京新聞記事の転載を削除すべきと思いますが、いかがでしょうか?
ア博 20 年の意義ある歴史を、一部理事のケチな欲望で汚すのは、「姉妹館」としても残念でなりません。
以上